三崎坂を上って、ちょうど観智院のはす向かい側に、永久寺があります。とても小さいお寺で山門から見ると本堂が左手すぐのところにあります。右手に仮名垣魯文の碑があり、本堂の右手には、「山猫めおと塚」と彫られた石碑が置かれています。『谷根千百景』石田良介著によると、「榎本武揚が夫婦の猫を魯文にくれたが、間もなく亡くなったので、お葬式をあげてその供養碑を立てた。」とのことです。猫といえば、谷中銀座の猫も人気者ですね。ちなみに、魯文著「高橋阿伝夜刃譚」のモデルとなった高橋お伝(「明治の毒婦」と呼ばれた)のお墓が谷中霊園にあるのを、たまたま通りすがりに見つけました。そんな訳で、この小説を読んでみたくなりました。
仮名垣魯文墓台東区谷中4丁目2番37号 永久寺幕末・明治時代の戯作者、新聞記者。本名は野崎文蔵、号を鈍亭。猫々道人などといった。文政12年(1829)江戸京橋の生まれ。長じて商家に奉公したが、戯作者を志し、式亭三馬や十返舎一九などの戯作を耽読、諸方を遊歴して作家生活に入った。万延元年(1860)「滑稽富士詣」を書いて世に出た。明治時代になると、当時の文明開化の世相を風刺した「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」等の作品を発表、明治開花期の花形作家となった。のち、ジャーナリズムの世界に転じ、「横浜毎日新聞」「仮名読新聞」「いろは新聞」「今日新聞」などに関係し軽妙な文章で活躍。明治12年発表の「高橋阿伝夜叉譚」は世上を賑わせた。明治27年(1894)11月、66歳で没し、当寺に葬られた。墓石には、聖観音を線刻した板碑(13~16世紀頃に追善のため造られた供養塔)がはめ込まれている。
本堂右側の山猫めをと塚は、夫婦の飼猫の供養の碑で、福地桜痴の碑文が刻されている。平成4年11月(台東区教育委員会)