名前: 天龍院
ふりがな: てんりゅういん
ローマ字: Tenryūin
区分: 寺院
宗派1: 臨済宗
宗派2: 妙心寺派
宗派3: 海雲山
特徴: 坐禅会
エリア: 三崎坂南側
郵便番号: 1100001
住所: 東京都台東区谷中4-4-33
参考URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/天龍院_(台東区)
お寺のサイト:天龍院
臨済禅 黄檗禅 公式サイト
団子坂下の交差点から三崎坂を上っていき、谷中小学校過ぎて少し歩くと右手に、天龍院があります。境内は広くありませんが、陽の光に反射して白く輝く大きな屋根が印象的です。山門横か境内に、「座禅体験@天龍院」のチラシが置いてあります。月1回のペースでしょうか当寺で座禅体験ができるようです。ちなみに、チラシを読むと、「...寛永7年(1630)神田に創建され、元禄14年(1701)当地へ移転したと言い伝えられる名刹、天龍院...」とあります。谷中にある多くのお寺が、歴史的にみると、実は神田で創建して、火事等の理由で、谷中に移転した。。。と言う話が結構出てきますね。 統計的に精査したわけではありませんが、少し気になり始めました。
伊東玄朴墓(都指定旧跡)台東区谷中4丁目4番33号 天龍院伊東玄朴は、近世後期の蘭方医。寛政12年(1800)、肥前国仁比山村(現、佐賀県神崎郡神崎町)の農家に生まれる。医学を志し、長崎では通詞猪俣伝右衛門とドイツ人フォン・シーボルトに師事してオランダ語、西洋医学を学んだ。文政11年(1828)、江戸に出て、本所番場町(現、墨田区東駒形1丁目)で開業、翌年下谷長者町(現、台東区上野3丁目)に転居し医療を施し、天保2年(1831)には、佐賀藩医となった。同4年、移転した下谷和泉橋通(現、台東区台東1丁目)の家は、象先堂と称し、訪れる者が列をなしたという。玄朴は、嘉永2年(1849)、幕府が発した蘭方禁止令、蘭書翻訳取締令に対抗するため、私設種痘所の建設を企画、同士に呼び掛けた。安政5年(1858)、神田お玉が池(現、千代田区岩本町)に設立され、これが蘭方医学を幕府に認めさせる突破口となった。種痘所は、翌年火災による焼失のため、玄朴宅の隣地である下谷和泉橋通に移転、再建された。万延元年(1860)には、幕府直轄となり翌年西洋医学所と改称、玄朴はその取り締まりに任命された。その後は明治政府に引き継がれ、現在の東京大学医学部の前身となった。玄朴は、明治4年、72歳で没し、ここ天龍院に葬られた。ドイツ人ビショップの著書の翻訳『医療正始』は、現在でも高く評価されている。なお、台東区1丁目30番には、種痘所跡・伊東玄朴居宅跡の説明板が建っています。平成14年3月台東区教育委員会