大雄寺(Daiōji)

谷中霊園の入り口から、三崎坂を言問通り方面に歩いて、左手に交番を見ながら進むと、右手にあるのが、大雄寺です。山門は広くなく境内も見通しが良いとは言えないため、気が付かずそのまま通り過ぎてしまいそうですが、境内参道の脇の大きな木が目につきます。こちら、クスノキです。お寺と樹木は切っても切れない縁ですが、谷中には、ヒマラヤスギシイなど、大木になる種類があちこちで見ることができます。クスノキというのは、当寺で初めて目にしましたが、きっと他のお寺でも見られるんでしょうね。時間があれば、気をつけて見るようにしたいと思います。

宗派       山号  住所
日蓮宗長昌山東京都台東区谷中6-1-26

日蓮宗東京都北部宗務所(寺院一覧)

大雄寺 大雄寺境内

高橋泥舟墓 台東区谷中6丁目1番26号 大雄寺 高橋泥舟は幕末期の幕臣、槍術家。名は政晃。通称謙三郎。のち精一。泥舟と号した。山岡鉄舟の義兄にあたる。天保6年(1835)2月17日、山岡正業の次男として生まれ高橋包承の養子となる。剣術の名人として世に称賛され、21歳で幕府講武所教授、25歳のとき同師範役となり、従5位下伊勢守に叙任された。左幕、倒幕で騒然としていた文久2年(1862)12月、幕府は江戸で浪士を徴収し、翌3年2月京都へ送った。泥舟は浪士取扱となったが、浪士が尊譲派志士と提携したため任を解かれた。同年12月師範役に復職し、慶応3年(1867)遊撃隊頭取となる。翌4年1月「鳥羽伏見の戦」のあと、主戦論が多数を占めていた中で、泥舟は徳川家の恭順を説き、15代将軍徳川慶喜が恭順の姿勢を示して寛永寺子院の大慈院に移り、ついで水戸に転居した際には、遊撃隊を率いて警固にあたった。廃藩置県後は、要職を退き、隠棲し書を楽しんだという。明治36年2月13日没。勝海舟、山岡鉄舟とともに幕末の三舟といわれる。 平成16年3月 台東区教育委員会

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