臨江寺(Rinkōji)

名前: 臨江寺
ふりがな: りんこうじ
ローマ字: Rinkōji
区分: 寺院
宗派1: 臨済宗
宗派2: 大徳寺派
宗派3: 龍興山
特徴: 蒲生君平墓(国史跡)
エリア: ヘビ道の先
郵便番号: 1100001
住所: 東京都台東区谷中1-4-13
参考URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/臨江寺_(台東区)
谷中銀座からよみせ通りに入り、三崎坂を渡って、通称へび道を、てくてく東に進むと、途中から道幅が広がります。そこから歩いてほどない所に臨江寺があります。道端に申し訳なさそうに置かれた門柱から山門までの参道は広い駐車スペースのようになっており、その先に見える山門と境内の鮮やかな緑が調和して、絵に書いたような美しさです。山門から境内を覗くと、これまた深い緑に彩られた草木が生い茂り、その背後に黒くどっしり構える本堂が2本の灯篭を携えて、禅の道を問いかけてきます。しばし時を忘れて瞑想に耽る空間です。

臨江寺境内 臨江寺本堂 臨江寺

蒲生君平墓(国史跡)
台東区谷中1丁目4番13号 臨江寺
蒲生君平は、明和5年(1768)下野国(現栃木県)宇都宮の商家に生まれる。通称伊三郎、字を君臧また君平、修静または修静庵と号した。姓は福田といったが、先祖が豊臣秀吉の武将蒲生氏郷の流れであることを知り、蒲生と名乗ったという。高山彦九郎、林子平と共に寛政三奇人の一人と称せられている。幼児から学問に励み、長じて水戸藩士藤田幽谷を知り、節義と憂国の感化を受けた。寛政(1789~1800)の末期、諸国の天皇陵を歩き、享和元年(1801)『山陵志』を完成させた。これは、幕末の尊王論の先駆をなすものとして名高い。後、江戸に出て著述に専念し、文化10年(1813)に没した。「蒲生君臧墓表」と題した墓石には四面にわたって藤田幽谷の撰文を刻む。昭和17年国史跡に指定された。山門にある「勅旌忠節蒲生君平」の石柱は明治初年政府が建立したものである。
平成10年3月
台東区教育委員会